1960年にスタートして以来、60年以上に渡り連綿と続けられているベルマーク運動。その慈善的なコンセプトはもちろん賛同に値しますが、収集を巡る一連の作業が「前近代的」と言わざるを得ないことは疑いのない事実です。
そんな運動の「出口戦略」を探っているのは、米国在住作家の冷泉彰彦さん。冷泉さんは自身のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』で今回、ベルマーク運動の多すぎる問題点を指摘するとともに、「出口」として実効性のあるスマートな代替システムを提案しています。
「日本病を考える」(1)ベルマーク運動の出口戦略は?
ベルマーク運動というのは、もう終わったのかと思っていました。それこそパンデミックの数年前、PTA不要論が本格的に出始めた時期に、真っ先に槍玉に上がっていたからです。
ベルマークをチマチマ切って台紙に貼る作業を押し付けられた母親が、シンガポール出張の滞在先のホテルで作業しながら、日本終了を実感した的なコメントがSNSに溢れていたのを記憶しています。ですから、もう終わっていてもおかしくない時期です。
ですが、このベルマーク運動、まだ続いています。では、デジタル化とかそういう改善があったのかというと、試みとしてはあったようですが、結果的にポシャっており、今でもチマチマした切り貼りの作業は全国で続いています。
初期のベルマークについては、「僻(へき)地の学校を助ける」というのが立派なスローガンになっており、それこそ純真な昭和の家族や学校が、理想に燃えて集めていたのは事実です。しかし、今は21世紀です。
チマチマとベルマークを切り貼りしているうちに、「日本全国が僻地になってしまった」というのが真相ではないでしょうか?とにかくベルマークの話を聞くたびに、日本終了と言いますか、諸行無常の悲しい風が吹いていくのを感じます。
現在のベルマークですが、往時とは全く変わっていません。とにかく商品のパッケージについているマークをチマチマと集めて、主催団体に送るというオペレーションは昭和の時代のままです。
ちなみに、「スポンサー企業別に仕分けし、その上で点数別に分けて台紙に貼る」という作業は、主催団体としては「不要」としています。ですが、各学校のPTAでは、歴代の「ベルマーク委員」の申し送り事項として「鉄の掟」として「台紙貼り」を死守しているケースが多く、多少改革意識のある保護者が数名立ち上がったとしても改革は難しいようです。
では、ルール上は「台紙貼り」は不要だとして、各学校で集めたベルマークをザクっと一つの封筒に入れて送ればいいのかというと「違い」ます。
これは公式のルールなのですが、ベルマークは「スポンサー企業」別の「専用封筒」を請求して、その企業別に仕分けしたベルマークを、その専用封筒に数を書いて入れて送ることが義務付けられています。その際に、「日清食品」と「日清食品ウェルナ」と「日清オイリオグループ」は別なので封筒も専用の別のものが必要だとか、まるで昭和30年代の事務仕事かよというようなワケワカラン規則があったりします。
https://www.mag2.com/p/news/544378
ベルマークの「原本」を各企業に送る必要がある訳
https://www.mag2.com/p/news/544378/2
終わってます
生徒一人100円出したほうが早いし金額集まる
ほんとだよ
主婦の時間は無料だと思うなよ
どこの地方でやってんの?
大昔の話
30年ぐらい前まで全国でやってたぞ
カメラのフィルムが高得点だった気がする
河合のピアノだったかな
すごい点数だったので親にねだってた
バカだわな
実家が写真屋だったが高得点な上に当時は写真屋でフィルム入れてもらう人多かったから袋いっぱい貯めて小学校に持っていったわ
僻地の話だろう
東京の平成生まれだけどやっとったで
日本人なら少なくとも一度はやったことあるはずだが
その誰も、「日本が悪くなった最大の理由は女の社会進出だ」という真実を絶対に口にしない。
表社会ではな。ネットだけなら別。
そりゃあ他の先進国は女性の社会進出を後押ししながらも成長してるわけで
「何言ってんだコイツwwww」となるから言えないよね
あれはプルタブ捨てるのを減らすのも目的だった
目的履き違えてステイオンタブを引きちぎり出したのが・・・
今はブルーチップの時代
昔はレジから出てきて台紙に貼りまくったなあ
その後磁気カードになったらしいけど
懐かしい
大人や教師がそれについて言及したのを見た事がなかった
引用元: https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1657082173/
1:
名無しのエクサワロスさん
2022年07月07日 01:39
ID:3uW2n7oH0
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