〈独占告白〉「このハゲ~!」騒動から3年・豊田真由子「意識のあるときは、死ぬことばかり考えていた」
2017年、週刊誌の報道で秘書への暴言が明るみに出て、世間から大バッシングを受けた豊田真由子さん。順風満帆だった人生が一変しました。当時のことは「パニック状態で記憶が定かではない」というものの、沈黙を貫いてきた3年をどう過ごしてきたのでしょうか。現在発売中の『婦人公論』6月9日号に掲載された、ロングインタビューを配信します。(構成=丸山あかね 撮影=大河内禎)
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(略)
◆意識のあるときは、死ぬことばかり考えていた
17年6月、元秘書が豊田さんを週刊誌で告発し、「このハゲ~!」という衝撃的な音声が連日テレビで放送された。豊田さんはその後、唯一答えた雑誌のインタビューで、事件当時は、数日の間に秘書が次々と「ミス」を重ねたために、地元支援者の信頼を損なう事態が相次いだと告白している。
必死で積み重ねてきた地元の方々との信頼関係がことごとく壊されていくという恐怖から、パニック状態に陥っていたのだと思います。報道された録音を聞くと確かに自分の声なのですが、あんなことを言ってしまっていたとは……。何を言っても遅いのですが、本当に申し訳ないことをしたと、ただ猛省しています。
最初の報道で私はショックを受け、精神科に入院。体重は12キロ減って、意識のあるときは、ずっと死ぬことばかり考えていました。なんとか踏みとどまれたのは、子どもたちに「自分の存在が、母を生につなぎとめるほどの価値を持たなかったのだ」という痛みを一生抱えさせるわけにはいかない、その一心からだったと思います。
ありがたかったのは、それでも応援してくださる方々がいたこと。友人たちが励まし続けてくれたこと。両親が私を信じ、そっとしておいてくれたこと。そして何より、家族が味方でいてくれたことです。夫にはたくさん迷惑をかけましたが、それでも私に寄り添い続けてくれました。別居したと報じられたこともありましたが、そんな事実はありません。
ただ私のせいで、何よりも大切で守ってやらねばならないはずの子どもたちをひどく傷つけてしまった。それは申し訳ないとか、可哀想なことをしたといった言葉では片付けられないことでした。
それでも子どもたちは、私の入院先に面会に来ては明るく振る舞い、つらい思いをしていることは、おくびにも出しませんでした。当時の記憶はあまりないのですが、なぜだか病室に家族が集まってピザを食べたこと、窓から遠くに小さく見える打ち上げ花火を子どもをひざに抱っこして観たことは覚えています。
(略)
https://news.yahoo.co.jp/articles/2e775885c15d71249150b43c6779799ca964e881?page=3
ちょっと角度の違うしくじり先生だよね
まあ、まわりが馬鹿に見えるのは事実だろう
片山さつきもそうだが、ペーパーをさらっと目を通すだけですべてを理解するからね
これ
頭のいい人間だから、もう少し周りを上手く使う方法も勉強すべきだったけど、まぁ人生これからよ
舛添が復活できるんどから、この女もできると思ってたわ
テレビに出てくる未来が見えたぞ
引用元: https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1591000171/
1:
名無しのエクサワロスさん
2020年06月03日 10:16
ID:oGmTPoNz0
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