あなたの「家紋」は? 知らない人増え”危機” 背景に文化全体の揺らぎ/兵庫・丹波篠山市
知ってますか? あなたの家の家紋―。バリエーションも含めれば2万種近くもあるといわれる日本独自の紋章「家紋」。
戦国武将や有名大名のみならず、世界的に見て名字が非常に多い日本には大半の家に存在する。
しかし、研究者によると、自分の家の家紋を知らない人が増え、このままでは一般社会から消えてしまう恐れもあるという。
日本固有の文化に危機が迫っている。そもそも家紋とは何か。危機の原因は何なのか。
「家紋の発祥は平安後期とされます。まず、世襲する領地や財産ができ、ほかの家と区別するために名字が増えた。そして、公家の西園寺家が自分の乗る牛車がすぐわかるように印(巴紋)をつけた。これが公家の間で“流行った”わけです」
そう話すのはネットサイト「家紋ワールド」を運営する研究者で、日本家紋研究会理事の田中豊茂さん(66)=兵庫県丹波篠山市。
田中さんに教えを請いながら家紋の歴史をひも解いた。
平安後期に流行した家紋は牛車だけでなく、衣服や調度品にも使われるようになる。
そして平安末期から武家が台頭し、鎌倉時代に入って武家社会になると、武士たちは戦場での武功をアピールすることや敵味方を識別するため、武具や旗などに家紋を入れるようになった。そして、武功に対する恩賞として領地が与えられたり、また、領地替えがあったりしたことで、武家とともに家紋も爆発的に全国に広まった。
ちなみに公家の家紋は雅な印象。武家は武骨で目立つものが多いそう。
江戸時代になると何といっても「この紋所が目に入らぬか」でおなじみ、徳川将軍家の「三つ葉葵」が家紋ヒエラルキーの頂点に立つ。
権威の象徴でもあり、同時に憧れでもあったようで、庶民の中でも歌舞伎役者や遊女、浪人など元は武家の流れを汲む人々も家紋を使いだした。
そして明治。武家は衰退したものの、庶民も名字を名乗ることになり、特に禁止されなかった家紋が再び浸透した。
家紋は常に日本の歴史とともにあった。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191124-00010001-tanba-l28
うちまさがり藤
仲間
一緒
うちもそうらしい
浄土真宗の門徒か
同じ家紋の人すぐに見つかるとは思わなかった
あーね
それな。
家紋て好きなの家紋にして良いのだそうだ(´・ω・`)
自分で考案したのも可だって
きっと長篠で武田をボッコにした末裔に違いない
コアがなくて周辺だけ=武田家の外縁というか下っ端だったのでは?
佐々木さん?
しらない・・・
∧_∧
( ´ω`)
( )
| | |
(__)_)
引用元: http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1574570996/
1:
名無しのエクサワロスさん
2019年11月25日 02:33
ID:ub8gg33y0
返信